結婚15周年!5月5日の結婚記念日!夫へ~こんな私をありがとう~パート1
パパへ
出会って20年になるね。
お歳暮のバイト先で出会った私達。
あのバイトで私達が付き合って結婚するなんて誰も思わなかっただろうね。
でも、まさかまさかの遠距離恋愛が始まってしまって放心状態だっけかな。
まあ、よく、横浜と仙台の遠距離恋愛やってたよね。
途中、パパが転勤で福島になったりまさかの横浜本社にも来ちゃったもんね!
嬉しさ爆発したけけどそんなの3ヶ月ぐらいで厚木の愛甲石田に行っちゃうしね。
その後は小田原の転勤でもう私も30歳超えたから結婚に踏み切ったのよね。
っていうか私がしびれを切らしましたよ!
まじでオッセーよ!って思ったもん。
女性の体が子供を産むためにはタイムリミットがあるからまじで焦ったわ!
結局パパからのプロポーズは無しで私が脅迫したっぽく結婚と相成ったわけよね(笑)
そんでパパは「会社の人なんて呼びたくないからグアムで挙式しよ!」ってとんでも発言するからまじで嫌だったよ(笑)
私は日本でしたかったのに、外国でやったら人が呼べないじゃん!!!って大喧嘩したっけ!
そんなに「日本で結婚式したいなら別れよ!」とか言われてこの歳で捨てられるのも訴訟問題に発展しそうだから簡単に折れた私。
そんなに会社の人を呼ぶのが嫌だったのね。
グアムで挙式して横浜と仙台の秋保温泉でイヤイヤながらお披露目したっけ。
あの二ついらなかったね。お金がもったいないって心底思ったわ。ごめん。
新居はパパが選んだレオパレス21の2階での生活。
がっかりしたよ。パパに選ばせたのをものすごく後悔したよ。
私も仕事が忙しくて「パパが会社が家賃全額負担してくれるから俺に任せて!」って言葉を信じたのをものすごく後悔したよ。
だって新居にレオパレス21はないわ~~~~。
まあそんなこんなでなかなか子宝にも恵まれずもうすぐ31歳になろうとしていた私は不妊治療に踏み切るのよね。
卵管造影やって初めて体が真っ二つになる瞬間の気持ちってのがわかったよ。
初めて大人になて「痛いー痛いー!」って泣き叫んだもん。
そしてその後初めて病院で倒れたし。
気持ち悪くて貧血になって倒れた。
これも初めての経験だったわ。
でもその後吉野家の牛丼つゆだくの並を一人でぺろっと食べて帰宅したっけかな。
あのころ牛丼が250円だったからね!だから何?はよしてよね!
なかなか子供ができないリユウガ判明したっけ「両側卵管閉塞」ってやつ。
これは体外受精以上の治療しか子供ができる望みはなかったのよね。
もう絶望するって気持ちもこのとき初めて経験したね。
その結果をかかりつけ医の婦人科で聞いて泣きながら小田原駅の向かったんだよね。
パパに早く言わないとってくっさーーーいお店の裏のゴミ置き場からパパに電話したんだよね。
「両側卵管閉塞で普通には子供ができないんだって。体外受精しかないんだって。」ってシャクリあげて泣きながらパパに電話したんだよね。
パパは「まあ、そんな場所で泣いててもあれだから家に早く帰りな。俺も今日は早く帰るから。」って言ってたな。
たしかにめちゃくちゃ臭かったもんな。
一体私はどんなところで踏みとどまっていたんだよって話ね。
あれよあれよ体外受精をする日にちが決まっていったーーーーいホルモン注射を10日間打ちに行ったね・・・私だけね。
まあ、卵管造影よりは許せる。卵管造影は許せない痛みだよ。
卵管が詰まってたら体が真っ二つになるかもっていう経験はできるけどもう願い下げ状態だからまじで!
体外受精ってとにかくお金がかかったね。前払いだったもんな30万円・・・。
パパは「100万円までしかやらないよ!」ってさあと2回しかできないのかよ!って心の中で文句タラタラ言ってたけどお金を出してくれるのはパパだから笑顔で「わかった!」って返事だけしといたんだよね。
私の心の中は「1000万円使ってでも体外受精をやるぜ!」って気持ちだったよ。1000万円ってお金が一体どこに存在しているのかわからないのにね。スイス銀行の口座もないけどね。
でも運が良く体外受精で1回目でできたんだよね。
判定日の日、もうすでになんか気持ち悪くて気持ち悪くて先生に「なんか気持ち悪いんですけど~」って言ったら先生は「まあ、とりあえずおしっことってきて!」ってセクハラかドクハラかってな発言してくれたな。
まあ、妊娠してるかしてないかはに尿検査だからね。
で、みごと妊娠してたんだよね。
うれしいんだけど気持ち悪い方が勝っててはやく横になりたかったわ。
病院でてすぐパパに電話したね。「子供できてたよ!」って言ったらパパは嬉しそうに「やったね!おめでとう!早く帰んな!」っていうけどさ気持ち悪いのよね。
フラフラになりながら帰ったっけ。
妊娠できたのは本当に嬉しくて良かったんだけど妊娠しても半年働けば会社からお金が出る制度を使いたかったので悪阻との戦いが始まったんだよね。
会社まで激混みの1時間を立って過ごす妊婦の私。
あの頃結構痩せてたから誰も私が妊婦って気づいてくれなくて辛かったな。
妊婦です!ってキーホルダーぽいのつけてたのに。つけ損だったか?
そんなときパパが「八王子に転勤だって!」っていうから大変だったね、あの時も。
でもどうしてもお金が欲しくて会社を辞めたくなかったのよね(笑)がめつい私。
2000文字書いて疲れたから一旦ここでやめます。
まだまだ続くよ~♥